光誘起反応

 分子が光を吸収すると、分子中の電子はより高いエネルギー準位へ移動します。それによって分子は基底状態から励起状態に励起され、その後電子状態の変化と共に、発光現象や化学反応が起こります。下図にあるように、光を吸収するとフランク-コンドン原理による垂直遷移、つまり、分子の振動よりもすばやく電子の遷移が起こります。その後、励起状態の高振動状態はゼロ点振動レベルまでエネルギーを放出し、振動緩和が起こります。そして、上位から下位の励起状態に等エネルギー的に乗り移る無放射遷移が起こります。その場合、同じ多重度で無放射遷移する内部転換や一重項励起状態から三重項励起状態へ遷移する項間交差が起こります。また、励起一重項状態から基底状態へ、励起三重項状態から基底状態への放射遷移も起こります。この際、放出される光を、前者の場合は蛍光、後者の場合はリン光と言います。
 内部転換による遷移は、異なる電子状態間のエネルギー曲面の円錐交差で起こります。この円錐交差は、光反応において重要な役割を果たします。円錐交差では複数の反応チャンネルが存在するため、どのチャンネルを選択するかは反応制御の重要な鍵となります。我々は、円錐交差における反応選択性について、分子動力学シミュレーションによって解析を行っています。


光反応過程


 反応選択性における動的因子

 シス型のブタジエンを光励起すると円錐交差を経由した無放射遷移により、トランス型やシクロブテン、ビシクロブタンなどが生成します。Me基で置換したジメチルブタジエンを用いると、これらの生成物の比が変化します。このことは、Me基の効果によって円錐交差におけるチャンネル選択に変化が生じていることを意味します。我々は、なんらかの動的因子がその原因であると考え、非断熱結合を考慮した分子動力学計算によって解析を行いました。その結果、Me基が分子の熱揺らぎに与える影響が円錐交差におけるチャンネル選択に反映されているためであることをつきとめました。また、それぞれのチャンネルには、反応が起こるための条件が存在することも明らかにしました。



 また、チャンネル選択にはエネルギーの再分配も大きく影響すると考えられます。逆に言えば、エネルギーの再分配を制御することで目的の生成物の量子収率を制御できます。我々は、そのような分子設計の研究を進めています。

【文献】 T. Matsubara, “Dynamic Effects on the Product Distribution of the Photoreaction of s–cis–1,3-Butadiene: A Nonadiabatic Molecular Dynamics Study”, Bull. Chem. Soc. Jpn., 94, 1720-1727 (2021).



 アゾベンゼンは、2つのベンゼン環がアゾ基でつながった構造をしています。シス体とトランス体が存在し、光照射によってシス体とトランス体の間の異性化反応が誘起されます。n→π*の吸光係数はcis体の方が大きく、可視光を照射するとシス体が励起されてトランス体の濃度が上昇します。一方、π→π*の吸光係数はtrans体の方が大きく、紫外光を照射するとトランス体が励起されてシス体の濃度が上昇します。このようなアゾベンゼンの性質は、光メモリーデバイスや光スイッチなどに広く応用されています。ここで重要になるのが異性化反応の量子収率です。通常のアゾベンゼンのシス体からトランス体への異性化の量子収率は0.56ですが、二重に架橋すると量子収率は0.8まで上昇することが最近、実験で報告されました。我々は、その理由を理論計算により明らかにしました。架橋構造により立体的な自由度が限定されることで、—N=N—部分のペダル回転による異性化が効率よく行われることが主な原因です。また、異性化した—N=N—部分は周囲の方向性の高いバタフライ運動によって堅固に保持されることも明らかになりました。このような分子の運動制御によって量子収率を向上させることが可能であることを示す我々の結果は、分子設計の新たな指針を示唆するものです。




【文献】 T. Matsubara, “Dynamic Effects of the Bridged Structure on the Quantum Yield of the CisTrans Photoisomerization of Azobenzene”, Phys. Chem. Chem. Phys., 24, 17303-17313 (2022).